1930 | 人間国宝中里無庵の三男として唐津に生まれる |
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1952 | 日展 初入選 |
1965 | 日展にて「三玄壷」が特選北斗賞を受賞 |
1973 | 唐津市神田山口に「三玄窯」を築窯 |
1976 | 日展審査員となる |
1985 | 佐賀県芸術文化功労賞を受賞 |
1989 | 日展評議員となる |
「中里重利」
現在唐津では最長老の陶芸家である。人間国宝 中里無庵の3男として生まれる。全国のお茶道具、古美術商から高い評価を得、こと茶陶においては全国的に多くのファンを持つ。伝統的な古唐津様式の作品で知られる作家だが、その原点は若かりし頃の有田青年学校といえるかも知れない。
父無庵に小さい頃から轆轤、窯焚きの技術を教え込まれるも、有田の学校にて轆轤の名手との出会いがその後の作陶人生を大きく変えたと本人は語る。精巧に器を挽けるようになるということは、作家というより職人に感覚が近い。いか様にも土を自在に操れるようになってから本人の美意識が加わり始めて形を崩すというこのオーソドックスなセオリーだが、現在これを実践できる作家は少ない。
ペルシャ陶器、エジプト、中国陶磁器、李朝陶磁など数々の名品からの影響と数々の数寄者、コレクター、美術商との交流の経験から氏の作品は生み出され何が美しいものなのかということを今もなお模索している。妥協しない形、絵付け。氏の作品を見ていると「少し遊んで」という印象は感じられない。すべてにおいてどこか締りがあり緊張感のある唐津である。氏はすべてはバランスだといい絵を描くにもバランス、茶碗によっても大きさのバランスを重んじている。氏の茶碗を手に取ると、どこか樂茶碗のような印象をうけたり、織部のような印象をうけたりするのは現に400年前の桃山期の唐津がそうであったようにその当時の茶人、数寄者が見出した美意識の雰囲気が感じ取れるからかもしれない。
氏が古唐津を語った折に「形は真似できても、匂いまでは真似できない」という印象的な言葉があった。陶芸家であれば轆轤が上手なのは当たり前。しかし、そこから先にどれだけ作家として踏み込めるかという意味合いだったのだろうか。氏はその美意識の匂いに向かって今もなお唐津の地で作陶を続けている。